あれから一週間

あれから一週間が過ぎました。

長い間更新できず、ご心配をおかけしました。
心配のメールを下さった方々、ありがとうございました。
我が家は全員無事です。実家の家族も。

長く続く大きな揺れに、オトノコを抱きしめたあの日。11日。
揺れの後、外に出たら多くの家の瓦が落ちていました。
集団下校のコドモタチを迎えに行くとオネエサンは泣きじゃくっていました。
通学路のブロック塀も倒れ、下校中の地震だったら危なかったなあと。
食器棚から落ちた食器、水槽からあふれた水。
サイドボードからもカメラやビデオカメラが落下。
2階はもっとひどく、クローゼットから片付けたばかりのお雛様が落ち、壁に作った棚は板ごと落下。
壁にかけてあった額も揺れで紐が切れて落ちていました。
すべての家具が20cmほど移動していました。重いピアノまで。

揺れの直後の停電で、それらを片付けることもままならず。
ある程度の生活空間を確保し、ランプ、ろうそくなどを用意し。
少しの間我が家に避難していた近所の兄弟やお友達と、あり合わせの慌しい夕食をとり。

10時すぎに電気が回復し、テレビで東北地方の悲惨な状況を目の当たりに。
海沿いにある実家は大丈夫なのだろうか。。。

次の日12日。朝からの断水に大慌て。
翌日に予定していた子供会の歓送迎会の手配で慌しく動き回り。
結局、場所が使えないので中止に・・・。
子供会役員同士の連絡も、公演をお願いしていた筑波大学マジシャンズクラブさんとの連絡も
学校の臨時休校を知らせる連絡網も
すべての連絡がなかなか取れず携帯電話と子機を握ったまま右往左往。
この日も慌しく過ぎていきました。

13日。この日の朝になって実家と連絡が取れないことが不安になって押し寄せ・・・。
携帯に連絡しても、固定電話に連絡しても、妹の勤め先に電話してもつながらず。
NTTの171も携帯会社の災害伝言板も、
被災を受けた側が電話がつながらないのだから無事を知らせることなんて出来ない!
結局、ドコモユーザーの東京在住のいとこに連絡をして無事を確認。
実家と連絡が取れたのはお昼頃になってからでした。

14,15日。水道回復。小学校臨時休校。
体育館は窓が窓枠ごと落下したそうです。
先生も体育の授業中ではなくてよかったとおっしゃっていました。

16,17日。
小学校、給食センターの機能が回復しないので短縮4時間授業11:45下校。


毎日毎日ひどくなっていく被災地の状況と
実家の安否確認後の安堵感、生まれ育った町を襲った津波のあと
(地元の様子をUPしてくださっている方のブログ)
それから、原発の危機的な状況・・・
頭の中が混乱して、こうして記録を残すことが出来ませんでした。
まだまだですが、少しずつ落ち着いてきたので、覚えていることを記録しておきます。

私が生まれ育ったのは岩手県洋野町有家。
通学に使っていたJR有家駅近くの線路は津波に押し流され、
近くの鉄橋も流されているので復旧には時間がかかりそう。
汽車に揺られて、毎日眺めたあの海がこんなに酷い災害をもたらすなんて。
東京に出てくることになって、最後に見た車窓からの海と海を照らす月の光。
あの景色が浮かんできて、とても切ないです。

危険な状況が続く福島の原子力発電所。
どうか、最悪の事態は避けられますように。
ただ、このことで、私自身、日本の原子力政策について大きな疑問を抱いたのは事実。
無事に今の状況を切り抜けた後に、
どうぞ、今一度原子力政策についてみんなで考えて欲しい。

そして、被災地の方々に早く物資が行き届き、最低限の生活ができるようになって
さらには落ち着いた暮らしが少しでも早く戻ってきますように。


私は、前を向いて、今自分に出来ることをしっかりやっていかなくては。。。
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by harukanashu | 2011-03-18 14:39 | ヒビ